陽明学日記(3)事上磨練、誰もができる学問

「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」王陽明の非常に有名な言葉です。

犯罪者を捕らえて獄に拘束するよりも、人々の心から私欲を無くすことの方が犯罪減少には効果的である。が、しかしそれは前者よりもはるかに難しい、そういう意味と理解しています。

今回は誠にお恥ずかしい話をしたいと思います。

このように陽明学を学び出し、少々の有名な事柄は耳学問では知っていたと言ってもまだまだ生まれたての赤ん坊に等しいのだということを身をもって体験することができました。

私は本日晴れて還暦を迎えることができたわけですが、まだ小さい、やっと中学1年生になった息子がひとりおります。
彼は先週学校から2泊3日のスキー旅行に行ってきたわけですが、帰ってきた日の夕食時、旅行での出来事や感想を求めました。ところが、疲れていたのでしょう、のらりくらりと問いかけに反応しない、そして私の怒りが爆発してしまったというわけです。

そんな態度は許されるべきではない、ここは厳しく躾けるべきだと思い、大声でどなりちらし折角の家族団欒を台無しにしてしまったのです。

自分は善である、親に対する無礼な態度をとがめたのは重要な教育である、そう考えてやったのだとの思いは実は錯覚であったと後で気づかされます。

少し落ち着いて最近購入した林田明大氏の「真説 陽明学入門」を読んでいると、またしても偶然とは思えない言葉に出会いました。

「事上磨練(練磨と誤解する人が多いとか)」についての説明の件(くだり)でした。事上磨練とは「実際の事にあたって心を練磨する」という意味ですが、単に書物で学ぶだけでなく事象・行動の中から学ぶという陽明学のひとつの特徴をなす考え方です。

このことについて裁判の審理を担当する役人から、仕事に追われそのようなことをしている余裕がないとの質問に対して答えた言葉です。

「仕事を基にして学問するべきなのです。(中略)たとえば、一つの訴訟事件を調査する場合を考えてみましょう。被告の応対が礼にはずれるからといって、腹を立てることがあってはならないし、」(同書P.67中の記述)

失礼な態度に腹を立ててどなりつける、これは躾でも教育でもありません。それは単に腹を立てた本人の私欲・人欲である「大声でどなりつけてスッキリしたい」ということの実行に過ぎません。同書P.66の記述です。「人の行為に善だけでなく悪があるのは、本来の純な心が私欲に覆われているからだ。その私欲・人欲を取り去れば、心は天理だけになり、行動は善になる」

翌日、私は息子に謝罪しました。
「怒鳴ったことは正しくなかった。あれは単なる自分の私欲だった。許してほしい。ただ言った内容についてはしっかりと考えてほしい」

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